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蔵前→浅草橋散策(4):高坂陣内/須賀橋交番/榊神社/蔵前工業学園之蹟/浅草文庫跡碑

前回の蔵前→浅草橋散策(4)ではおかず横丁まで行きました。

今回は甚内神社探しから始めます。


(高坂陣内)

この鳥越神社の前の蔵前橋通りを渡ると「江戸の三陣内」と一人と言われた「高坂陣内」を祀った甚内神社があります。
浅草橋 甚内神社


「江戸の三陣内」は江戸のいわゆる闇社会を取り仕切った人たちで、他の「三陣内」は江戸の吉原(人形町にあった吉原)の庄司陣内、古着市を取り仕切った鳶沢(とびさわ)陣内の2人です。

高坂陣内はWikipediaによれば、

徳川氏は関ヶ原の戦いに勝利し、関東一円の支配に乗り出した。関東には後北条氏の残党がまだ残存勢力として残っており、治安を安定させるところまでは手が回らなかった。そのため関東の闇社会に詳しい甚内からの申し出を受け、関東の治安回復の責任者に任命した。(中略)しかしその甚内も関東一円に散らばる盗賊を糾合し、治安を脅かしかねない巨大な存在に成長したため、ここに来て幕府は甚内と縁を切り、追討の手を向けた。その後は逃亡を続けたが、10年後の慶長18年(1613年)に捕縛され、市中引き回しの上浅草鳥越の刑場で磔にされた。なお、瘧(マラリア)を煩っていたといわれ、死に際に「瘧さえなければ捕まることはなかったのに。瘧に苦しむ者は我に念ぜば癒してやろう」ということを言い残したという。そのため、浅草にある甚内神社では瘧に利益のある神として祀っている。
(Wikipediaより。太字は筆者)



この甚内神社は小さな路地にひっそりと建っており、地元の人も知らないらしく、何人かの方に聞いてやっと見つけました。

この甚内神社の他に、高坂陣内関連の史跡としては、ここから少し離れた四つ角に「陣内橋遺跡」の碑があります(浅草橋3丁目13-4)。
浅草橋 陣内橋遺跡


この「陣内橋遺跡」の碑には次のような説明文がありました。

陣内橋はこの四ツ角にあった橋。西から東へ流れる鳥越川の架橋だった。名称は橋畔に向坂(幸坂)陣内を祭る神社があったのにちなむ。
(「陣内橋遺跡」の碑より)



このあたりには鳥越川という川があったことが分かります。

なお、この碑の説明文では高坂陣内を「向坂(幸坂)陣内」と書いてありました。


(とんでもない数のマンホール)

陣内橋遺跡の説明文に書かれているように、ここは鳥越川が流れていました。その暗渠跡を歩いていくと、とんでもない数のマンホールがある場所がありました。
浅草橋 多くのマンホール


そのマンホールをよく見ると「東京・下水道 合流」と書かれています。
浅草橋 東京・下水道 合流


この「東京・下水道 合流」の意味は、専門的になりますが「降雨による雨水と家庭などの汚水を一つの管路で送る方式である『合流下水道』」と思われます。


(須賀橋交番)

この道をさらに進んでいくと交差点に「須賀橋交番」があります。
台東区 須賀橋交番


この交番の名前となった「須賀橋」も鳥越川に架かっていた橋でした。

さきほどのマンホールのあった近辺は江戸初期に鳥越刑場がありました。先程の高坂陣内が処刑されたのも鳥越刑場です。

このため、この「須賀橋」は「地獄橋」とも呼ばれていたそうです。

この鳥越刑場は、江戸の市街化が進むにつれ、市内に刑場があるのは良くないとの理由で、史跡の宝庫(1):南千住・北千住を訪ねるでご説明した小塚原刑場に移されました。

江戸市内の日本橋人形町にあった吉原が浅草北の新吉原に移されたのも同じ理由によるものです。


(榊神社)

この「須賀橋交番」を通り過ぎて東に行くと、「榊神社(さかきじんじゃ)」があります。
蔵前 榊神社


「大六天神社(だいろくてんじんじゃ)」「第六天榊神社(だいろくてんさかきじんじゃ)」とも呼ばれます。

景行天皇40年(110年)に、大和武尊が東夷征伐したときに創祀したといわれますが、そうだとすると弥生時代に創建されたことになるので、これはさすがに割り引いて考える必要があると思います。

ここでの見どころは2つあります。

一つは、「蔵前工業学園之蹟」です。
蔵前工業学園之碑


「蔵前工業学園」は目黒区世田谷にある現在の「東京工業大学」の前身です。

関東大震災で校舎が焼失し大岡山に移転しましたが、このときの移転に熱心に動いたのが、東京急行電鉄(9005):循環型チャートの株価の動向で書いた五島慶太です。

五島慶太は東急沿線のブランド価値を高めるために大学の設置に動いたのでした。

↑おお、「東京散歩」と「踏ん張り投資」が見事に融合しましたね(笑

このため、東京工業大学のOB会の名前は今でも「蔵前工業会」と言います。

もう一つは、「浅草文庫跡碑」です。
榊神社 浅草文庫跡碑

この碑によれば、

浅草文庫は、明治7年(1874)7月に創設された官立の図書館である。翌8年に開館し、公私の閲覧に供した。(中略)現在、その蔵書は、国立公文書館内閣文庫や国立国会図書館、東京国立博物館などに所蔵され、太政大臣三条実美の筆蹟と伝える「浅草文庫」の朱印が押されている。
(「浅草文庫跡碑」より)


この碑に書かれているように、国会図書館で本を借りて「浅草文庫」の押印があった場合は、この「浅草文庫」由来の本だということです。(続きます)

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Author:カツQ
リタイアして3年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に株式投資と東京散歩で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。
投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。
東京散歩は健康維持も兼ねながら、地形や歴史・古道・暗渠を通して見た街角散歩をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。

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